2024年9月26日、子ども脱被ばく裁判の会(原告団・弁護団・支援者)の申し入れにより、環境省・文科省との間で、放射性物質に関する環境基本法の「環境基準」、学校保健安全法の「学校環境衛生基準」について意見交換の場を持ちました。子ども脱被ばく裁判の会から提出した質問項目は>こちら。
以下は、そこに参加した私の感想。その1は放射性物質に関する「環境基準」について、環境省との意見交換について。
それは一言でいって、彼らにとって不都合な真実を隠蔽するために、魔法使いのようなアクロバット的解釈の採用とそれでもなお隠し通せず明るみになった「ゴミの発生」。それがほかならぬ「法の欠缺」。
すなわちどんなにテクニックを駆使し、どうあがいたところで隠し通すことが出来ず、最後までつきまとうことになる問題、それが(放射能と同じく、私たちの目には見えない)「法の欠缺」という問題。それは、「法の欠缺」こそ311以後の日本社会の最大の法律問題だということです。
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昨日の最高裁アクションと省庁意見交換、お疲れ様でした。
省庁意見交換は私にとって今回が初体験だったのに、私自身全く準備できておらず、昨日、交換会の場で話した通り、環境省の担当者の説明を聞いて、頭の中がグジャグシャになりました。
以下、そのグジャグジャの中から見えてきた、311後の日本政府の戦略についての私見です。
2017年に井戸さんが書いた、子ども脱被ばく裁判の準備書面(32)(PDF>こちら)のポイントの1つが、
311前までは、放射性物質は公害原因物質でありながら、環境基本法の規制対象ではなかった。しかし、福島原発事故を受けて、2012年6月に、環境基本法が改正され、「放射性物質による大気の汚染、水質の汚濁及び土壌の汚染の防止のための措置について、(環境基本法ではなく)原子力基本法その他の関係法律で定める」としていた除外規定(13条)が削除された。従って、国は、速やかに放射性物質についても環境基本法に従って「環境基準」と「規制基準」を定めなければならない。よって、これをサボタージュする国は法的義務違反である、と。
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しかし、昨日、環境省の役人の言い分は、
環境基本法で定める「環境基準」&「規制基準」とは、事業者の「通常の事業活動に伴って発生する」公害原因物質に関する基準であって、2012年6月の環境基本法の改正によっても、その点は変わらない。
従って、福島原発事故に伴って発生した放射性物質については、環境基本法の「環境基準」&「規制基準」は適用されない。この意味で、国はサボタージュしていない、と。
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これに対し、私が昨日、質問したスタンスは、
そもそも311までの原子力基本法その他の関係法律において定める、放射性物質に対する「その防止のための措置」は、環境基本法における公害原因物質に対する「環境基準」&「規制基準」と比べ、極めて不十分なものであった。
311福島原発事故を受けて、上記の極めて不十分な法的措置に対する猛省から、放射性物質に対する防止措置を改めるために2012年6月、環境基本法を改正したはず。つまり、福島原発事故により原発から拡散された大量の放射性物質に対しても環境基本法の基準で防止措置を取ることにしたはず。
そしたら、あとになってから、2012年6月の環境基本法の改正は、事故による発生は前提にしていない、通常の事業活動だけに限定したものだ、と(新)解釈が打ち出された。だったら、我々が願っている福島原発事故により原発から拡散された大量の放射性物質に対する防止措置はどうなったんだ?
でした。
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そしたら、環境省の役人は
正直に、福島原発事故により拡散された放射性物質に対する防止措置に環境基本法の「環境基準」&「規制基準」は適用されないことを認めた。その上で、
原発事故により拡散された放射性物質については、ICRPの勧告を参考にしながら適切に対応する旨答弁しました。
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ここは決定的な回答でして、環境省の回答を私は次のように理解しました。
1、環境基本法に対する環境省の解釈は、まず、福島原発事故に限らず、およそ「通常の事業活動に伴って発生する」場合以外の原因(事故など)により拡散された放射性物質に対する防止措置については2012年6月の環境基本法の改正前はもちろん改正後も依然「法の欠缺」状態のままである。
2、一般に「法の欠缺」の事態に対して「欠缺の補充」(通常は立法的解決)が求められるが、本件で、1の「法の欠缺」に対する対策として、環境省は、民主主義の大原則である、欠缺の補充は立法府が可及的速やかに解決すべきである(なぜなら、さもなければ、行政府は、行政法の基本原則である法治主義=「法律による行政の大原則」が実行できない)とは考えず、
3、1の「法の欠缺」に対しては、環境省は、自分たち行政府が自由裁量を駆使して、例えばICRPの勧告などを参照して適切な措置を下せば足りると微塵も疑わずに考えていて、言い換えれば、法律にしたがって行政を実行する必要なぞ全くないと考えていて、はからずも法治主義の無視、逸脱を平然と表明している。
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これについて、私から次の2つのコメント。
1、解釈変更による法改正の無効化(←この意味については、次の【検証7】を参照)
環境省のこの法的テクニックのやり方を聞いていて、こいつは憲法9条の解釈変更による改憲(憲法改正)と手口が同じだな、と思いました。前例主義が建前の政府の手口はだいたいいつも同じになる(ましてや成功体験なら一層そうだ)。
憲法9条1項で、戦争の放棄を宣言し、2項で戦力はこれを保持しない、と定めています。
現憲法を制定したとき、多くの人たちは第二次大戦の戦禍に対する猛省から、二度と戦争はゴメンだ、戦争のための戦力は持たないと決意し、それが9条に刻まれたはずです。
しかし、朝鮮戦争を機に警察予備隊が創設され、それが発展して自衛隊が作られていく中で、新たな解釈が生まれました。それが、
9条1項で放棄したのはあくまでも侵略戦争であって、自衛のための戦争までは放棄していない。だから、自衛のための軍隊(戦力)は9条2項の「戦力」に該当しない、
と。つまり戦争を「侵略戦争」と「自衛戦争」に区分して、9条が適用されるのは「侵略戦争」だけだと。
このロジックが今回の環境省の解釈にそのまま再現されています。つまり、「公害原因物質の発生」を「通常の事業活動に伴って発生する」場合と、事故などそれ以外の場合で発生する」場合とに区分し、環境基本法で定める「環境基準」&「規制基準」が適用されるのは前者だけだと。この2つの解釈のロジックは子どもだましみたいに瓜二つです。
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前者の子どもだましに対しては、憲法学者の宮沢俊義がこう論破しています。
--もし憲法が、自衛戦争をなお容認しているのであれば、少なくとも戦争宣言の手続、法律で戦争を行うのか、国会の承認によって内閣が行うのか、それとも国民投票で決めるのかなどくらいは規定されていてしかるべきである。また、自衛戦争が是認されればそのための軍隊も是認されるから、義勇兵制とか徴兵制とかに関する規定があってしかるべきである。そういった戦争に関する規定が今の憲法にはいっさい欠けていることは、この憲法が自衛戦争というものも容認していないことを強く裏付けるものである。
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これと同様に、311前の環境基本法についても同様のことが言えるはずです。
ーーそもそも環境基本法は事業者を守る法律ではなく、国民の命、健康を守る法律であって、国民にとっては、国民の命、健康を脅かす公害原因物質が問題なのであって、その発生原因が事業者の「通常の事業活動」であろうが「事故」であろうと関係ない。
そのような立法目的に照らせば、もし環境基本法の「環境基準」&「規制基準」が平時の場合に限定したものだとすれば、例えば公害原因物質を取り扱う工場の爆発事故・火災などの事故が発生した場合の対策について、そのような爆発事故・火災は容易に想定できる出来事であるから、そのような事態に対する「環境基準」&「規制基準」のあり方について少なくとも最低限の基本的指針は定めるはずである。しかし、環境基本法には「事故」における対策の規定はなにもない。ということは、環境基本法は平時と事故を区別せずに公害原因物質の規制をしていると解釈すべきである。
2、「法の欠缺」状態に対する「欠缺の補充」についても間違いをおかしている
仮に百歩譲って、環境省の解釈を前提にしても、つまり、
「通常の事業活動に伴って発生する」場合以外の原因(事故など)により拡散された放射性物質に対する防止措置について2012年6月の環境基本法の改正後も依然「法の欠缺」状態のままだとしても、この場合に行政府が「欠缺の補充」をして政策決定を下す場合に、その「欠缺の補充」のやり方を完全に間違えている。
では、何が「欠缺の補充」の正しいやり方であるか。これについては、実定法の規定がないが、理論的には、「欠缺の補充」とは或る意味で、当該「法の欠缺」部分を制定することと解することができることから、制定行為とは何かについて最も明快な理論であるケルゼンの序列論=法段階説により、次のように説明することができる。
もともと行政府が制定する政令が法規範として承認されるのはなに故であるか。それは当該政令が上級の法規範である法律に基いて制定されたからであり、それゆえ当該上級規範に適合すると認められるからである。では、当該上級規範の法律が法規範として承認されるのはなに故であるか。それは当該上級規範である法律がさらに上級の法規範である憲法に基いて制定されたからであり、それゆえ当該上級規範の憲法に適合すると認められるからである。
そうだとしたら、もし特定の紛争事実に対して、適用すべき法律が具体的な判断基準を直接示すことができない、いわゆる「法の欠缺の補充」に当たっても、制定行為と同様に、当該法律を法規範たらしめている根拠である上位規範に立ち帰って、当該「法の欠缺」部分を当該上位規範に基づいて、なおかつこれに適合するように具体的な補充をするのが、法の段階構造に立つ現行法の態度として最も適切なものと思われるからである。
つまり、法の欠缺が発生している当該法律の上位規範に着目して、「当該法律は上位規範に適合するように解釈される必要がある」(上位規範適合解釈)という法の基本原理を応用し、「当該法律は上位規範(憲法及び条約とりわけ国際人権法)に適合するようにその欠缺が補充される必要がある」という方法で補充を実行することである。
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しかし、環境省がやったのは、この「上位規範(憲法及び条約とりわけ国際人権法)に適合するようにその欠缺を補充」ではなく、「民間の一団体でしかないICRPの勧告に適合するようにその欠缺を補充」したものであり、それは上位規範適合解釈という法の基本原理を応用した「欠缺の補充」のやり方に照らし、裁量権の明らかな逸脱・濫用と言わざるを得ない。
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