理由その1。
それはまず、放射能が人々に受け入れられないからだ。
そして次に、原発が人々に受け入れられないからだ。
(1)、放射能
放射能は痛くも臭いもせず、人間の五感では感じ取ることができない、超感覚的世界の存在、なのに他方で、体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人に即死させる猛毒。いわば非人間的、非日常的な存在。こんな化け物みたいな存在を、私たちはどうやって実感し、どうやって向き合うことができるのか。この意味で、私たちが放射能を受け入れることは困難。
(2)、原発
そして、この化け物の放射能を制御する原発とは、いわば科学技術の最先端で登場する装置。つまり人間の脳が作り出した「脳化社会(※)」の最先端の極め付けの装置、超特大の化け物。
だから、放射能ばかりか原発も既に、人間の五感にとってリアリティを持ち得ない、バーチャルな世界の化け物。
その超特大の化け物が暴走したのが原発事故。
原発事故という、人間の五感にとってリアリティを持たない、こんなバーチャルな存在の暴走を人間が実感を抱いて向き合うことにどうして耐えられるだろうか。通常の人間の五感にとって耐えられるはずがない。
この意味で、私たちが原発を受け入れることは困難。
(3)、そこで、放射能や原発という、徹底して非人間的、非日常的な存在(化け物)について語るこのブックレットに人々が人間的、日常的な関心を抱くこと自体に無理があり、無理を強いることになる。
理由その2。
それはまず、人々が「脳化社会」に生きているからだ。
そして次に、原発事故が「脳化社会」のゴミだからだ。
(1)、脳化社会
「脳化社会」とは安全・安心が確保され管理統制された人工社会であるとされる。
(2)、原発事故
他方、原発事故は、その管理統制された「脳化社会」の枠組みから逸脱・暴走した「手に余るおぞましい問題」=ゴミである。
その種の「手に余るおぞましい問題」に対して「脳化社会」はどういう態度を取るか。それは、これまでも首尾一貫してそうであったように、見て見ぬ振りをし、スルーして済ませるという「排除」の論理で対応しようとする。
その結果、人々は「脳化社会」に生きることに甘んじる限り、安住する限り、「手に余るおぞましい問題」である原発事故による健康影響について「排除」=見て見ぬ振りをし、スルーして済ませようとする。
(3)、そこで、原発事故による健康影響について語るこのブックレットに対し、「脳化社会」に生きる人々が見て見ぬ振りをし、スルーして済ませようとするのは当然である。
(※)「脳化社会」 養老孟司が作った造語。(以下、参考動画)
https://www.youtube.com/watch?v=BU1Pi2g6kQg
動物とちがい、言葉、お金を作り出したヒトの脳がそれまでの「自然の世界」に対して、「人工の世界」を作り出し、この世界を再構成していった。養老孟司はこれを「脳化社会」と呼ぶ。放射能の原爆、原発とは私たちの「脳化社会」が辿り着いた極限形態だと思う。
この意味で、原発事故に向き合うとは、私たちにとって「脳化社会」に生きることの意味を問い直すことであり、全ての人たちにとっての根本問題を最も鋭く、深く掘り下げることである。
ひとたび、その真理に気づいた人たちは、このブックレットが提起する問題を忘れて生きることは不可能となる。
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